マチコト
2015/1/29 荒子観音
荒子観音は、天平元年 (729年) に創建され、織田信長の比叡山焼き討ちの時に焼失。そして、前田利家が天正4年(1576) に荒子観音を修造したとか。その後も、移築や焼失、再建を繰り返し、境内にある多宝塔は1994年に焼失。その3年後に再建され、現在は重要文化財に指定されています。


また、円空が旅の途中に立ち寄り掘ったとされる3mを超える仁王像をはじめ、約1,200体の円空仏も残されています。


そんな荒子観音は、尾張四観音の一つとして知られています。尾張四観音とは約400年前に徳川家康が尾張の中心として名古屋城を築いた時、名古屋城から見て鬼門の方角に「笠寺観音」「甚目寺観音」「龍泉寺観音」、「荒子観音」と、四つの寺を置き、名古屋城を守るお寺として「尾張四観音」としたそうです。


それ以来、尾張を守る観音様として愛され、四観音のうち、その年の恵方にもっとも近い観音様は「尾張の恵方観音様」として、毎年、参拝者でにぎわいます。


ちなみに今年、2015年の恵方は西南西。つまり、荒子観音が今年の恵方観音となるわけです。来週火曜日、2月3日朝10時〜夕方5時まで節分豆まきが行われます。荒子観音は、地下鉄東山線「高畑駅」やあおなみ線「荒子駅」から徒歩10分。


厄除だけではなく「縁結び」のご利益もあるとされる荒子観音にぜひお出掛けください。
2015/1/22 四間道
名古屋市西区の堀川沿いにある四間道は、江戸時代の初め、1610年に清洲越しの商人が店を開いた場所です。 1700年の大火の後、防火の目的と商人の商業活動のため、道路幅を四間(約7メートル)に広げたので、その名前がついたといわれています。

四間道の東側には石垣の上に建つ土蔵群が、西側には町家が通りに面して並んでいます。 現在の四間道の景観は、1740年頃に形成されたそうで、現在は、土蔵などがわずかに残るのみですが、戦災を免れた四間道界隈には蔵や閑所、町屋、屋根神様などが残り、名古屋市の「町並み保存地区」に指定されています。 その、名古屋の財産ともいえる歴史ある町並みを残すためのルール作りが始まっています。

ルールを作りを進めているのは、四間道のまちづくり団体や円頓寺商店街振興組合などの13団体でつくる「四間道・那古野界隈まちづくり協議会」。名古屋市の町並み保存地区に指定されていた1986年には52棟あった伝統的建造物は、マンションや駐車場になった場所もあり、今では34棟にまで減ってしまったとか。歯止めをかけようと保存のための協議について話し合い、住民アンケートを元に建物のデザインの基準などをまとめて保存ルールを作るそうです。

2020年の東京五輪、2027年のリニア中央新幹線の開業に向けて動き出しています。 最近では、歴史的な建物を利用したお洒落なレストランやカフェなども人気の四間道。地元住民の方々ともふれあえる人情と歴史のある町に訪れてみてはいかがですか?
2015/1/15 笑門来福
大須演芸場は1965年から落語や漫才、曲芸などを披露する名古屋唯一の常設寄席として、新人時代のビートたけしさんや明石家さんまさん、泉ピン子さんなど多くの芸人が出演。日本の芸能文化の発祥の拠点の一つだった大須演芸場は昨年2月に閉場。そして今、復活に向けて、映画の製作が行われています。

名古屋が舞台の短編小説を募る「ショートストーリーなごや」受賞3作品のうちの一つで、脚本家「いとう菜のは」さんの原作の短編映画「笑門来福」。ストーリーは、笑う事を忘れた主人公が、会社の同僚に教えてもらった演芸場でさまざまな芸人と出会い、心からの笑いを取り戻すという人情劇。

元々は演芸場の閉場が決まる前に書かれた内容でしたが、現実を踏まえた物語に書き換え、名古屋市などがつくる実行委員会が制作費30万円を出して映画化が決まったそうです。

もちろん大須演芸場を拠点にしていた芸人さん達も出演し、地元のご近所さんや愛好家さん達もエキストラで参加しているそうです。

大須演芸場を舞台にした短編映画「笑門来福」は昨年の「ショートストーリーなごや」の受賞作品と一緒に上映されます。

短編映画の完成披露上映会は、2月4日(金)。ただし、抽選でご招待だそうです。ちなみに受付けはメールのみで、締め切りは明日!詳しくは「ショートストーリーなごや」で検索してください。
2015/1/8 有松地区
有松地区は1608年、江戸時代に開かれた町で「有松絞り」の製造、販売によって発展した町です。「塗籠造」と呼ばれる、土などを厚く塗った町家の壁で囲まれ最近では観光地としてさらに注目されています。

その有松地区を「伝統的建造物群保存地区」に指定し計画的な町づくりを進めるよう
有松地区の代表者が河村名古屋市長に要望を出したそうです。

住民の要望書では、「伝統的な町並みは価値が高いけれど、維持費がかかり、有松地区の伝統的な町並みと周辺の環境を調和した景観で守っていく事が大変難しい。しかし、「伝統的建造物群保存地区」に指定されれば名古屋市が保存や計画的な町づくりができる」としています。
これには名古屋市長も賛成していますが、問題は維持費。国から保存費用の半分を受けることが出来る「重要伝統的建造物群保存地区」になるには、まず名古屋市が「伝統的建造物群保存地区」にする必要があるとか。そこで、名古屋市が指定に向けて動き出しているとか。国に働きかけるのはその後になりそうですが2016年度の選定を目指しているようです。

空襲からも免れた町並みは、貴重な日本の歴史を肌で感じる事が出来ます。旧東海道沿いの古い町並み「緑区 有松地区」ぜひおでかけになってみてください。