2014/6/26 つまおり傘
雨の少ない空梅雨が続いていますが、傘の季節です。愛知県が全国に誇る「高貴な傘」を製造している事をご存知でしょうか?野点やお茶会などで、まるでパラソルのような朱色の傘「儀典用端折長柄傘」またの名を「つまおり傘」。

骨の端を内側に折り曲げた長柄の傘で、直径約1.8m、柄の長さは2.1mという大きな傘はその昔、公家や僧侶などに後ろからさしかけたりと、広く利用されてきました。また、豊臣秀吉が醍醐の花見の時に使用したという記録も残っていて、最近ではお茶会などの野点の席に使われたりしています。


実はこの「つまおり傘」の製造は、愛知県では扶桑町山那(やな)の尾関家だけ。創業は江戸時代のはじめごろといわれ,以後約400年以上に渡り伝統を守り、1993年には扶桑町指定無形文化財に指定されました。


位傘とも呼ばれる「つまおり傘」は 伊勢神宮、春日大社、善光寺、成田山など、全国の主要な神社仏閣で使われていています。その数は、年間を通しても600本程度しか製造出来ないほど希少で高貴な傘なのです。


鮮やかな朱色は、魔除けの意味もあり、降り注ぐ災難を避けるためなのかもしれませんね。事前に連絡しておけば、尾関家で製造工程を見学できるそうです。傘の季節にぜひお出掛けになってみてください。
2014/6/19 テレビ塔
日本で最初の「集約電波鉄塔」である名古屋テレビ塔が明日、還暦60周年を迎えます。この60年間、名古屋のシンボルとして戦後復興を見守り、伊勢湾台風にも耐え、幾多の難関を乗り越え、今や名古屋の顔となった名古屋テレビ塔。

戦後復興のシンボルとして名古屋の真ん中に誕生して以来、来場者は延べ 3300 万人。たくさんの方の想い出に名古屋テレビ塔は欠かせないのではないでしょうか。

アナログ放送終了に伴ってアンテナを外す作業が行われた時、それまで灰色だったテレビ塔は1954年に完成した当時のシルバーに輝く塔に塗り替えられました。航空法51条により、60m以上の塔や煙突は赤白塗装が義務づけられていますが、テレビ塔はこの法が制定される前に建設されたため、日本でこの高さのテレビ塔で赤白以外の塗装が施されているのは名古屋だけなのです。

そんな名古屋テレビ塔は、60年を迎え「新ライティング・煌(きらめき)」と題して、LED電球1万個を用いた1760万色の灯りで“シンボルタワー”として生まれ変わります。

「テレビ塔の繊細な鉄骨造を活かしたライトアップ」はシーズンによって特別な演出も行うそうです。点灯式は明日6月20日夜7時20分から。また記念イベントとして、7月1日〜9月30日の期間中「光の万華鏡」が開催されます。

還暦を迎える名古屋テレビ塔は、新しい名古屋のシンボルを目指し、今度は電波ではなく、光を放ちます。新たな思い出を名古屋テレビ塔と刻んで行きましょう。
2014/6/12 鳴海球場
1927年、現在の名古屋鉄道が、沿線開発として建設した、日本のプロ野球発祥地の一つ「鳴海球場」。その規模は甲子園球場を上回る広さで、1934年には全米選抜チームの一員だったベーブルースも訪れたとか。


1936年には日本で初めてのプロ野球の試合である、名古屋を本拠地にしていた「金鯱軍」と巨人軍との戦いもあり、1941年にチームが吸収合併されるまで「金鯱軍」の球場として使用されたそうです。


しかし、その後、戦争が激しくなると、軍用品を作るため、バックネットや屋根といった金属が回収され、球場は弾薬庫になってしまいました。


戦後には連合国軍 総司令部GHQのアメリカ兵のレクリエーション施設として使われましたが、その後、中日ドラゴンズの本拠地球場に。しかし1948年、中日スタジアム(名古屋球場)が完成すると中日ドラゴンズは拠点を移し、主のいない鳴海球場は1958年、球場としての役割を終え、閉鎖。名鉄自動車学校に生まれ変わりました。


現在でも教習所のコースにはホームベースが置かれ、一塁側スタンド跡は、待ち合い室や事務所などとして使われています。


そんな鳴海球場を題材にした音楽劇「ひいじいちゃんのアルバム-鳴海球場物語-」が名古屋市緑区の「名古屋市緑文化小劇場」で6月14,15日に上演されます。詳しくは「みどり文化芸術ネットワーク」までお問い合わせください。

戦争の為に野球の夢を断たれた人々のお話を通して、野球の出来る平和の大切さを考えて欲しいとの事。ぜひお出掛けください。
2014/6/5 名古屋城のヒメボタル
名古屋城の外堀で、今年もヒメボタルがっています。初めて名古屋城の外堀に蛍を見つけたのは1975年5月。当時、外堀を走っていた名鉄瀬戸線・旧大津町駅の駅員さんだったそうです。

当時、都心で見つかる事が珍しいホタルを線路脇で見つけた為、新聞社に連絡。記事に掲載された日を境に、大勢の人達が詰めかけたそうです。

ところが、静かに見守る見物客とは違い、ホタルを持ち帰る人が続出。短い命しかないホタルを不憫に思い、その駅員さんはホタルのシーズンになると休暇を取り、訪れた人を案内したり、保護を訴える活動をしたそうです。 実は、このとき駅員さんは重い病気を煩っていた為、自分自身とホタルの姿を重ねていたそうです。
 
病と闘いながらホタルを守った駅員さんは1999年にこの世を去りました。しかし、その意志は、今も受け継がれています。その名も、市民団体「名古屋城 外堀ヒメボタルを受け継ぐ者たち」。ホタルが舞う時期は、団体のメンバーさんにお会いする事もありますよ。

見頃もまさに今!ちょっと遅い時間帯ですが、夜11時頃からだそうです。ヒメボタルは名古屋城のお堀にかかる本町橋のたもとの生い茂る草木の中でメッセージを発するように光ってみせてくれます。名古屋城の外堀のヒメボタルに、そ〜っと会いにお出掛けになってみてください。
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