マチコト
2014/5/1 長者町
かつて日本三大繊維問屋街の一つとして栄えた名古屋市中区の長者町地区。「元気経済」「共生文化」「安心居住」をキーワードに再生に向けて動き出しています。

名古屋市中区長者町地区は、南北を錦通と桜通、東西を本町通、伏見通に囲まれたエリアです。戦後は繊維問屋が急増し、最盛期の1970年前後には100軒近い問屋が軒を連ねましたが、バブル崩壊とともに減少。近年は30軒ほどに。
建物の老朽化や少子高齢化も問題になっています。そんな長者町地区を「木の街」に変貌させる取り組みが行われています。

「歩道を広げ、ウッドデッキにし、木のプランターを置き、花を植え、お店の看板も木製に」と自然のぬくもりを取り入れた町づくりが始まっています。

環境破壊が問題視される中、林業の活性や間伐材の活用、地球温暖化防止に役立つ町づくりに取り組む長者町地区。

環境や人に優しい繊維問屋街は、「糸から木へ」。「商売の街」から「住む町」に変わろうとしています。ぜひ、都会の真ん中で森のぬくもりを感じる街へお出掛けください。
2014/4/24 SOCIAL TOWER BOOK
「街の顔」「街の有名人」とも言われる人々が、どの街にもいる。長く街で過ごし、見つめ、遊んでいるからこそ語れる街の魅力があります。

この春、名古屋テレビ塔のある街・栄エリアを中心に、そんな「街の顔」17人が語る新しい「栄のガイドブック」が発売されました。その名も「SOCIAL TOWER BOOK」



2011年7月24日、テレビ放送がデジタルへと切り替わった事で、名古屋テレビ塔は57年の電波塔としての役目を終えました。その後、収入も無くなった街のシンボルは、撤廃するにも費用がかかるという事態に。そこで、新しい形で情報発信拠点にするためにテレビ塔の未来を考える「Think テレビ塔」プロジェクトが始動。そこから、久屋大通公園を利用したマーケットやフリーペーパーの発行、テレビ塔の1階に”街の案内所”を設置。テレビ塔を人が交流する場所として、2012年「SOCIAL TOWER PROJECT」も発足。新しい切り口のガイドブック「SOCIAL TOWER BOOK」では、テレビ塔のある街・栄エリアに長く関わっている17人が街の魅力をそれぞれの視点で語っています。日本最古の屋上観覧車、老舗中古レコード店、カフェ、映画館。日本舞踊家がインタビューした「老舗高級クラブ」など、アナタの、知ってるようで知らない街の魅力が載ってますよ。

街に息づく人の想いが詰まったガイドブック「SOCIAL TOWER BOOK」。東京でも発売され、店頭に並べると売り切れになるほどだそうですよ。地元のアナタもぜひご覧になって、違う角度から街を楽しんでください。


〜〜本件に関するお問い合わせ〜〜
特定非営利活動法人 大ナゴヤ・ユニバーシティー・ネットワーク内
SOCIAL TOWER PROJECT事務局
名古屋市中区大須3-42-30 ALA大須ビル201
TEL:070−5646-6098 (担当:加藤、青木)
2014/4/17 消えるモノ
この春、長年愛されたものが姿を消してしまったのをご存知でしょうか?

まずは「伝言板」。名古屋市営地下鉄の駅で待ち合わせ場所として長く親しまれてきた黒板の「伝言板」が3月末を持って姿を消しました。

名古屋市交通局が「携帯電話の普及で役割を終えた」として伝言板に覆いを掛けたり、撤去しました。

90年代後半以降、利用客が携帯電話を持つのが当たり前になり、伝言を書き込む人も激減。「広告媒体」としての魅力もなくなり、三月いっぱいで全ての広告の契約が切れたというわけ。当たり前にあった伝言板の後は、ちょっと殺風景になって時代の流れとはいえ、惜しむ声も聞かれるようです。

もう一つ、姿を消したと言えば名古屋市内で最も古い天然温泉。大名古屋温泉も42年の歴史に幕を閉じました。高度成長期の1972年に開業し、ピーク時は1日2千人を超したそうですがスーパー銭湯などの人気もあり、撤退を決めたというわけです。

「市内の大きな天然温泉」の意味を込め、「大名古屋温泉」と名付けられ、宿泊、宴会、大須演芸場の芸人の出張公演、大相撲名古屋場所では宿舎になり、74年には横綱琴桜が引退会見を開いた「大名古屋温泉」。跡地や設備の活用方法はまだ決まっていないとか。

時代が変わるのは世の常ですが、思い出は大切に残したいですね。
2014/4/10 川向しだれ桃の里
赤や白、ピンクの可愛らしい桃が美しい山の斜面に揺れる設楽町の「川向しだれ桃の里」。 新城市から北へ、国道257号線を進み、「設楽大橋東」から県道432号線にはいると丸く可愛らしい花をつけるしだれ桃に目が止まります。

実は、この設楽町の「川向のしだれ桃の里」は、今年96歳の伊藤七郎さんが長年かけて植えたのがきっかけだったとか。そのはじまりは50年前。元々は蚕を飼っていた桑畑に2本のしだれ桃を植えたのです。あまりに美しく咲いたので、その木から種をとり、木を増やし近所に住む人達にも種を分けたところ、どんどん増え、約1000本の「しだれ桃の里」が出来上がったとか。しかし今では伐採され、半分になっています。その理由は、設楽ダムの建設のため。つまり、設楽町の「川向のしだれ桃」は、ダムに沈んでしまうというわけです。

伊藤七郎さんも立ち退きのため住み慣れた場所を離れて、頻繁にとはいきませんが、96歳の今でも自ら車を運転し枝の苔落としなどの手入れもし、美しく保っていらっしゃいます。



実は、住民が移転する際に木を切っておくと、その木に対して補償が支払われるそうなのですが、しだれ桃の里を造り上げた伊藤さんは、あえてそのまま残すとか。

「もう移植も無理なので仕方ない。また違う場所に植えるよ」と移転した今の自宅の周りにも約250本のしだれ桃を植えています。そしてまた、「川向と同じような場所になると嬉しい」と夢を描きつつチャレンジする96歳の伊藤七郎さん。

20日まで行われてる「川向きしだれ桃の里まつり」でお会い出来るかもしれません。美味しい山グルメの出店もあるようですのでぜひこの週末、ダムに沈んでしまう前に奥三河設楽町の「川向のしだれ桃の里」にお出掛けください。
2014/4/3 八幡山古墳
1909年(明治42年)に名古屋最初の公園として開設された鶴舞公園の北西に
小高い山のような場所があります。これが、東海地方最大の古墳「八幡山古墳」です。

5世紀中頃に作られたと言われ直径82メートル、高さは10メートルという大きさで、外側の周堤も10メートルの幅という規模の「八幡山古墳」。1931年に国の史跡として指定され、戦前は埴輪などが採取されたのですが、戦中は樹木が伐採され、古墳自体も昔の姿のままではありません。


現在は、丸い古墳の円周に桜が植えられていて、知る人ぞ知る桜の名所です。古墳のお堀に花びらがたまり、まるでピンクの小川のよう。「ブルーシートを敷いて…」とった場所ではありませんが春のお散歩にお勧めですよ。

鶴舞公園の「八幡山古墳」も花見リストに加えてみてください。