マチコト
2013/10/31 松重閘門
名古屋港は、取扱貨物量や金額ともに日本最大級の港です。船による輸送が盛んだった昭和40年代初めまでは港から名古屋城につながる堀川と並行して走る中川運河が大動脈だったとか。江戸時代に、名古屋城築城の資材運搬のために作られた堀川は伊勢湾と名古屋城下町を結ぶ大事な水路でした。


明治に入り、名古屋港が開港。すると船や貨物の量は飛躍的に増え、当然、堀川やその後つくられた新堀川などではとても対応できなくなったことから、自然河川だった中川を拡張し、運河が作られたそうです。これが「中川運河」です。


昭和7年に開通したときは「東洋一の大運河」といわれ中川運河は、名古屋港と、当時の名古屋の貨物駅だった笹島駅を結び、駅の手前で堀川とつなぐことになったんですが両方の川の水位が、2メートルほど違うという問題が浮上。そこで造られたのが「松重閘門」です。


長さ90メートルの水路の両端に高さ20メートルの塔があり、40トンの鉄板を吊るし、上げ下げしたそうです。


松重閘門の、その塔のデザインはまるでヨーロッパのお城の門のようで、建築物としてもたいへん美しいです。昭和51年に閘門は役割を終えましたが今でもライトアップされるとそれはそれは美しいです。
今は名古屋市指定有形文化財となり、公園になっています。町のイルミネーションとはまた違う歴史の重みを感じる松重閘門ぜひお出かけになってみてください。
2013/10/24 名古屋地下街
今から13年前、私川本エコが名古屋にやってくる時「傘のいらない街に住むんだね」と言われました。その理由はもちろん、「地下街が発達しているから」


日本で最初に本格的な地下街の建設に取り掛かったといわれている名古屋。


昭和30年代、車が激増し、交通渋滞や事故など、日本全国の大都市で問題が発生したそうです。そこで、車が走りやすいように広い道路がつくられ、歩く人達にその流れを止められないように浮上したのが人と車を分離して安全を図る「地下通路」案。


名古屋駅とつながる「サンロード」が昭和32年3月に開業。昭和36年には栄の「地下街構想」がまとめられたそうですがなかなか進展はせず、昭和42年に入って、ようやく折り合いが付き、昭和42年5月2日「栄地下センター株式会社」が誕生したそうです。


地下街の中央広場には世界一の規模を誇るクリスタルグラスのオブジェをモニュメントとして設け、昭和44年11月11日11時に「サカエチカ」が開業。入場制限する程だったそうです。


ナゴヤドーム2個分に匹敵する敷地内には、400近くのお店が並び、一大地下街となっています。今では路面店が増え、地下街での買い物客は当時ほどではないようですがこれから季節が深まり暖かい地下街が賑わいます。


完成当時は、地下街の歌なども作られ、名古屋の地下街は全国的にも注目を集めていたそうですよ。さぁ、今日も雨。傘のいらない街にお出かけになってください。
ぶらりスペシャル〜喫茶店〜
「ジムランコーヒー」



名古屋市中川区一色新町にあるジムランコーヒー
営業時間 11:00~6:00まで。
お休み 月曜日、火曜日
電話番号 052ー303−4131



マスターが焙煎する様子を自ら撮影する大竹さん
取材している本人ならではの目線の写真がいつも素敵です



豆やスイーツはもちろん店の歴史や細かいエピソードも取材




仲のいい素敵なご夫妻が入れてくださるコーヒーは格別




私のために選んでくださったのはこのカップ




ライターの大竹さん、マスター、私







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「洋菓子 喫茶ボンボン」



名古屋市東区泉、高岳にある「洋菓子 喫茶ボンボン」
地下鉄高岳駅より徒歩5分
営業時間 8時〜22時(テイクアウトは21時まで)
定休日 無休
電話番号 052・931・0442


老舗の風格は店内に


隅々まで手入れされた店内は、時代を忘れさせます



アメリカを意識した戦後の日本のデザインは丁寧で個性的



ケーキは250円前後。ほとんど値上げされていないので、昔と変わらない値段で頂けます。



お味も抜かりの無い丁寧な職人技を感じる懐かしいケーキ
2013/10/10 広ブラでぶらぶら
この秋も栄では、毎週日曜日に歩行者天国が行われています。1984年に、それまでは大ブームだったホコ天をやめていましたが2年前の2011年、試験的に実施され、今ではもうすっかり栄の風物詩となっています。


ところが、歩行者天国になる前は、大正から昭和にかけて、広小路の納屋橋から栄町までを散歩することを銀ブラになぞらえて「広ブラ」とよんだそうです。



当時の「アベック」たちのデートコースであっただろう街には味噌おでん、串カツ、みたらし団子、どて煮などの食べ物屋台、茶の湯の道具、盆栽など、様々な物が売られ、買い物や食事など人々が憩う場所として大人気だったとか。


しかし1963年、昭和38年までに「衛生上の理由」から屋台は全面撤去され、「広ブラ」は死語となってしまったとか。そのうち、高層ビルが建ち始め、車も増え、ブランドショップが建ち並び…栄の街はすっかり姿を変えてしまった…ように思えますが、根強く残っている文化があります。


それが喫茶店。
「広ブラ」して歩き疲れた足を休めて語らう社交の場「喫茶店」は当時とても賑わっていたそうです。
今は、カフェやバールが増え、その人気が心配ですが、実は、喫茶店は「今」ますます面白いそうです。

…この続きはまた来週。

なんと来週10月17日は、このマチコトコーナー始まって以来のスペシャルです。題して、「マチコト、ぶらりスペシャル」。喫茶店のスペシャリストと一緒にご紹介します、お楽しみに☆
2013/10/3 円頓寺商店街 パリ祭
スペイン、ベトナム、イタリア、中南米、そして江戸、明治、大正、昭和…


この全てを味わえる商店街と言えば…名古屋駅と名古屋城の中間に位置する円頓寺商店街。なんと、再来週、パリになります。



(これは七夕の時の写真)


円頓寺商店街は、清洲から、名古屋へ城を移した「清洲越」から始まった商店街です。今や、大須と同じように名古屋で最も古い商店街として長く親しまれていますよね。


円頓寺商店街周辺には、江戸・元禄時代に火事のため、多くの商家や町家が消失したことから大火を防ぎ、商業活動を活性化する目的で作られた「四間道」があります。


四間道には堀川を利用して、名古屋城の城下町へ米や味噌、酒などを運ぶ「商家」が軒を連ねていたとか。今もその面影は残っていて、名古屋市の「町並み保存地区」に指定されています。


江戸時代の面影を残すその町では、もう一度商店街の活性化を目指そうと四間道や円頓寺商店街のオーナーやアーティスト、建築家が集結しフリーペーパーを作ったり、イベントを行ったり。


さらに、わずかに残っている古い蔵や長屋をカフェやバル、レストランに誘致し、今や、新しくて古い、日本で異国を味わえるマチとなりました。


その円頓寺商店街が成熟した大人のマチ、パリになります。10月12、13、14日の3日間…。


レトロな商店街にパリ風のカラフルなテントが並び、ビストロ、カフェ、ファッション、音楽、江戸、明治、大正、昭和…をワイン片手にほろ酔いで楽しんでみてはいかがですか?



(商店街の入り口に立っている黄門様もパリ仕様になるのかな?(笑)